紅茶をめぐる幸せな旅【2】

紅茶専門店『えいこく屋』   店主 荒川博之

「セイロン茶業の父」

ジェームス・テイラーの遺徳を訪ねて①

 今回はセイロン茶業の父、ジェームス・テイラー(1835―1892)についてお話しします。 ジェームスはスコットランド生まれ。16歳でセイロン島へ入植し、コーヒー栽培の助手として働いていました。しかし、サビ病で島内のコーヒー園は壊滅状態に。農園主が紅茶栽培に転換していく中、ジェームスは古都キャンディのベラデニア植物園で、インドから移植されたアッサム種の茶樹の種を集め、それを「ル・レコンデラ」の地に蒔き、大茶園へと発展させていきます。

一方、オームスという人物が中国から中国種をセイロン島へ持ち帰り、ブッセラワに植えて成功。ジェームスのアッサム種と自然交配し、優秀なセイロン紅茶の基となりました。

いざル・レコンデラへ!

宿は憧れのゴールフェイスホテル

 ジェームスの足跡を訪ねるため、私がスリランカへ渡ったのは25年ほど前のこと。すでに数回、スリランカは仕事の関係で訪れていました。スリランカの国営エア・ランカで9時間半のフライト。バンダラナイケ空港に着き、南国の生暖かな風が吹くロビーで、迎えに来てくれたダハルマラテラさんを見つけ一安心。

彼は熱心な仏教徒で日本語ができ、これまでにも車の運転と通訳を兼ねてくれ、すっかり親しくなっていました。名前が長いので、通称「ダルマさん」。彼の親切な人柄も、私をスリランカ好きにした理由の一つです。 私は近代化が進むスリランカより、古いセイロン時代の風物に憧れていました。 この旅では、コロンボの「ゴールフェイスホテル」に宿をとりました。1864年築の、コロニアル風木造四階建。前庭がそのままインド洋へと続く贅沢な造りです。「お化けが出る年代物が好みか(笑)」と、私の趣味をダルマさんは笑います。

私がこのホテルを選ぶのには訳がありました。140年前、ジェームス・テイラーもスリランカへ来た最初の夜、ここに宿泊しているからです。

紅茶ビジネス黎明期、「ジェームス」と「トーマス」の出会い

 イギリス植民地時代、セイロン島でジェームス・テイラーと同じく、紅茶ビジネスを始めた人物がいました。その名はトーマス・リプトン。

 ジェームスがトーマスに、紅茶をイギリスへ輸出するビジネスについて話したことをきっかけに、トーマスは島内に一大プランテーション(大規模農場生産)を展開します。その後の「リプトン社」の発展は皆さんご存知の通りでしょう。(つづく)

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